第9章 国際政治の動向と課題

38_国際社会における政治と法

国際社会における政治と法

主権国家体制の成立

今から約400年前、ヨーロッパでは「国家とは何か」「国と国の関係はどうあるべきか」という問いに答えを出す必要に迫られた。その答えが「主権国家体制」である。現代の国際社会はこの仕組みの上に成り立っている。

主権国家とはどういう仕組みか

主権国家体制では、国際社会の基本単位は「国家」である。そして各国家には「主権」が認められる。主権とは、自国のことは自国で決める権力のことだ。他国から「こうしろ」と命令されても従う必要はなく、自国が同意した取り決めにのみ縛られる。

さらに重要なのが「主権平等の原則」だ。国の大きさや人口に関係なく、主権をもつ国家はすべて対等な立場に立つ。日本とバチカン市国(人口約800人)が国際会議で同じ一票をもつのも、この原則による。

ただし、これは「力が平等」ということではない。大国が小国に圧力をかける場面は現実に起きている。主権平等はあくまで「法的な建前」であり、その建前をどう維持するかが国際政治の本質的な問題である。

ウェストファリア条約と国民国家の誕生

主権国家体制が生まれたきっかけは、17世紀前半のヨーロッパを襲った三十年戦争(1618〜1648年)だった。この戦争は、神聖ローマ帝国内のプロテスタント諸侯とカトリック諸侯の宗教対立をきっかけに始まった。やがてフランス・スウェーデン・スペインなど周辺諸国が次々と参戦し、ヨーロッパ全土を巻き込む大規模な戦争に発展した。30年間で中央ヨーロッパの人口が3分の1に減ったとも言われる凄惨な戦争である。

1648年に締結されたウェストファリア条約は、この戦争を終わらせた講和条約であると同時に、「国際社会のルールをどう作るか」という問いへの最初の答えでもあった。条約では、各国君主が自国内の宗教を決める権利が認められ、「国家の内政に他国は干渉しない」という主権国家の概念が生まれた。

当初の主権国家は、君主一人が絶対的な権力をもつ「絶対主義国家」だった。しかし17〜18世紀の市民革命を経て、「国家は国民のためにある」という考え方が広まり、国家と国民が一体化した「国民国家」が成立した。19世紀以降、ナショナリズム(民族主義)が強まり、同じ民族・言語・文化をもつ人々が一つの国家を形成しようとする動きが世界各地で起きた。

国際政治の特質と国際法の理論的基礎

国際社会には、世界全体を取り締まる「世界警察」も「世界政府」も存在しない。では、どうやって秩序が保たれているのか。その答えが国際法である。ただしそこに至るまでには、「力がものをいう世界」をどう変えるかという長い模索があった。

権力政治とは何か

国内社会では、法律を破れば警察が動き、裁判所が判決を下す。しかし国際社会には、この仕組みがない。国家の上に立つ強制力をもった機関が存在しないのだ。この状況を「無政府状態(アナーキー)」と呼ぶこともある。

この環境では、国家は自国の利益(国益)を守るために自ら行動するしかない。強い軍事力をもつ国は他国に圧力をかけられるし、経済力のある国は貿易交渉で有利な立場に立てる。国家がこうした「力」を使って他国の行動を左右しようとする政治のあり方を、権力政治(パワーポリティクス)という。これはきれいごとを抜きにした国際政治の現実の姿である。

たとえばロシアのウクライナ侵攻(2022年)は、「武力」という形の権力政治の典型例だ。一方、アメリカが特定の国に対して経済制裁を課す行為は、「経済力」を使った権力政治である。形は違っても、「力によって相手を動かす」という構造は共通している。

グロティウスと国際法の誕生

三十年戦争が続くさなか、オランダの法学者フーゴー・グロティウスは1625年に『戦争と平和の法』を著した。砲声が鳴り響く戦時中に「それでも守るべきルールがある」と書き続けたこの行為は、当時の人々に衝撃を与えた。グロティウスはこの著書で、戦争を「起こさないようにすること」と「起きてしまった戦争の被害を抑えること」の両面から法的に論じ、国際法の理論的な土台を作った。

グロティウスの主な主張の一つが「公海自由の原則」だ。海は特定の国が独占するものではなく、すべての国が自由に航行できるべきだという考え方である。当時、スペインやポルトガルが海洋を支配しようとしていたのに対し、後発国のオランダが通商の自由を守るために主張した論理でもある。この原則はその後の海洋法の基礎となった。

平和を求める知的な試みはグロティウスだけにとどまらなかった。フランスのサン=ピエールは『永久平和草案』を、思想家ルソーは『永久平和論の抜粋・批判』を著し、カントは『永遠平和のために』の中で国家間の連合による平和の実現を論じた。こうした思想の蓄積が、20世紀の国際連盟や国際連合の設立につながっていく。

条約・国際慣習法・主権平等の原則

国際法には大きく二種類ある。一つは「条約」で、国家どうしが文書で合意した取り決めのことだ。二国間条約(例:日米安保条約)から多国間条約(例:国連憲章)まで様々な形がある。もう一つは「国際慣習法」で、長年にわたる国際的な慣行が「これは法として守るべきだ」と広く認められたものだ。

国際慣習法の代表が「主権平等の原則」である。国家の三要素(主権・国民・領域)を備えていれば、どんなに小さな国でも国際法の主体として対等に扱われる。ちなみに「領域」はさらに「領土(陸地)・領海・領空」の三つに分かれる。領海は海岸線から12海里(約22km)、領空は領土・領海の上空のことだ。

国際法の発達と戦争の違法化

かつて戦争は、国家が当然にもつ「権利」だと考えられていた。「気に入らない相手には武力を使ってよい」という時代が長く続いた。その常識を覆すには、二度の世界大戦という取り返しのつかない経験が必要だった。

不戦条約から国連憲章へ

第一次世界大戦(1914〜1918年)後、国際社会は「二度と戦争を繰り返すまい」という機運のもとで国際連盟を設立した。しかしそれでも戦争を根本的に禁じる規定はなかった。転機となったのが1928年の不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)だ。「国際紛争を解決する手段としての戦争」を禁止した画期的な条約だったが、欠点もあった。「戦争に至らない武力行使」(例:侵略と呼ばずに行われる軍事行動)には適用されないという抜け穴があったのだ。

この欠点を補ったのが、第二次世界大戦後の1945年に採択された国連憲章である。国連憲章は武力による威嚇と武力の行使を明示的に禁止した。つまり「宣戦布告なしの侵略」も「威圧のための軍の展開」も違法とした。例外は自衛権の行使と、安全保障理事会が承認した集団的措置のみだ。これは国際法の歴史における最大の転換点の一つである。

20世紀に入ってからは、多国間条約の締結が一気に加速した。内容も貿易・金融・運輸・通信・人権保障・環境保全など多岐にわたり、国際法は「戦争のルール」だけでなく、経済・外交・人権にまで及ぶ包括的な制度へと発展した。

国際司法裁判所(ICJ)と国際刑事裁判所(ICC)

法があるだけでは不十分で、それを解釈・適用する「裁判所」も必要だ。国際社会にはその役割を担う機関が二つある。

国際司法裁判所(ICJ)は、オランダのハーグに置かれた国連の主要機関で、国家対国家の紛争を扱う。判決は当事国を法的に拘束する。ただし大きな制約がある。ICJに訴えるには、紛争の両方の国が裁判に同意しなければならない。「A国がB国を訴えたい」と思っても、B国が拒否すれば裁判は始まらない。また、国連などが意見を求めた場合には「勧告的意見」を出せるが、これは法的拘束力をもたない。竹島問題で日本が韓国に対してICJへの付託を提案しても韓国が拒否しているのは、まさにこの仕組みによる。

国際刑事裁判所(ICC)は、ICJとは別に2002年に設立された機関で、「個人」を裁く点がICJとの最大の違いだ。集団殺害(ジェノサイド)・戦争犯罪・人道に対する罪などの重大犯罪を犯した個人を、その人物が大統領や政府高官であっても訴追できる。ただし課題もある。アメリカ・中国・ロシアなど主要大国が未加盟で、加盟国が世界の約半数に留まっているため、実効性に限界がある。

領域と領土問題

地図に引かれた境界線は、単なる「線」ではない。そこには資源・安全保障・歴史的な経緯が絡み合い、今も世界中で争いが続いている。国家の「領域」という概念と、現代の領土問題の構造を理解することは、国際政治の現実を読み解く出発点になる。

領域の概念と公海自由の原則の成立

国家の要素の一つが「領域」である。領域とは、国家の主権が及ぶ空間のことで、領土(陸地)・領海(海)・領空(上空)の三つからなる。陸地はともかく、「海と空のどこまでが自国の領域か」を決めるのは、実は歴史的にも現代的にも非常に難しい問題だ。

15世紀末以降、ヨーロッパ諸国は競って海外に進出し、「発見」した土地を「無主地の先占」の原則で自国領にした。先に到達した国が、先住民がいても「無主地」として占有できるというこの理屈は、今日の観点からは植民地主義の正当化にすぎないが、当時の国際法ではまかり通っていた。

この状況でスペイン・ポルトガルに遅れをとったオランダやイギリスは、「海は誰のものでもない」という「海洋の自由」を主張した。これがグロティウスの唱えた「公海自由の原則」である。こうして海は、沿岸国の主権が及ぶ「領海」と、どの国の管轄にも属さない「公海」に二分されるようになった。

国連海洋法条約と排他的経済水域(EEZ)

20世紀後半に入ると、漁業資源や海底の石油・天然ガスをめぐる争いが激化し、「領海の範囲」を包括的に定める必要が生じた。その結果が1982年の国連海洋法条約である。

この条約は、「基線(海岸線の基準となる線)から12海里(約22km)以内を領海」「200海里(約370km)以内を排他的経済水域(EEZ)」と定めた。EEZでは沿岸国が漁業や海底資源の開発について主権的権利をもつが、他国の船舶が自由に航行する権利は保障される。EEZは領海とは異なり、完全な領土ではないことに注意しよう。

隣り合う国どうしのEEZが重なる場合(例えば日中間の東シナ海)は、その境界をどこに引くかが争点になる。豊富な海底資源が眠っているとわかれば、交渉はさらに激しくなる。中国が南シナ海で主張する「九段線」は、国際法上の根拠がないと常設仲裁裁判所(2016年)が判断したが、中国はこれを認めていない。

日本の領土問題

日本が抱える領土問題には共通する構造がある。1951年のサンフランシスコ平和条約で「日本が放棄した地域」に含まれるかどうかという解釈の争いだ。条約の文言が意図的に曖昧にされたことが、今日も続く対立の根本的な原因になっている。

北方領土(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)は、第二次世界大戦末期にソ連が占領して以来、現在もロシアが実効支配している。1956年の日ソ共同宣言では平和条約締結後に歯舞・色丹を返還することが約束されているが、条約は未締結のままだ。

竹島は、韓国が1952年に「李承晩ライン」を一方的に設定して韓国領に組み込み、以来実効支配を続けている。日本はICJへの付託を提案しているが、韓国は同意していない。尖閣諸島は沖縄返還(1972年)とともに日本が実効支配しているが、1968年に付近の海底に石油・天然ガスが確認されて以降、中国が領有権を主張するようになった。2012年の日本政府による国有化以降、中国との緊張はとくに高まっている。

これらの問題はいずれも、渡航制限・漁業制限・船舶の拿捕・乗員の抑留といった形で日本国民の生活に直接的な実害をもたらしている。領土問題は歴史の話ではなく、今この瞬間も続く現実の問題である。

沖ノ鳥島問題

沖ノ鳥島は東京から南に約1700km離れた日本最南端の「島」だ。問題は、ここが本当に「島」かどうかという点にある。国連海洋法条約は「人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域を有しない」と規定している。この定義によれば、沖ノ鳥島が「人の住めない岩」と判断された場合、日本は約40万km²(日本の国土面積より広い)のEEZを失う。

日本はこの島を「島」として扱い、波で削られないよう護岸工事を施してきた。中国はこれを「人工的に維持された岩にすぎない」と主張し、EEZを認めていない。どちらの主張が正しいかは現在も決着がついておらず、国際法の解釈が現実の資源争いに直結する好例として注目されている。

非国家主体の登場と国際法の地位

国際政治の主役はもはや国家だけではない。企業・NGO・国際機構が国境を越えて活動し、国家の政策に影響を与えるようになった。また、国際法と国内法のどちらが優先されるかは、私たちの日常生活にも意外なほど深く関わっている。

国際機構・地域機構とNGOの役割

19世紀半ば、鉄道・電信・郵便などの技術が国境を越えて広がると、それを管理する国際組織が必要になった。これが国際機構の出発点だ。20世紀に入ると、平和維持を目的とする国際機構として国際連盟(1920年)、国際連合(1945年)が設立された。

第二次世界大戦後は、地域ごとの統合も進んだ。EU(欧州連合)は加盟国が国家主権の一部をEUに委譲する仕組みをとっており、共通通貨ユーロの使用や、加盟国間でのパスポートなしでの移動が可能になっている。この統合の深さは他の地域機構にはない特徴だ。なお、イギリスは2020年に国民投票の結果を受けてEUを正式離脱(ブレグジット)した。ASEAN(東南アジア諸国連合)も地域の安定と経済協力を目的とした重要な地域機構である。

国家でも国際機構でもなく、市民社会から生まれた「NGO(非政府組織)」も国際政治で存在感を増している。「国境なき医師団」は紛争地や災害地に医療チームを送り込み、「アムネスティ・インターナショナル」は政治犯の釈放を求めて各国政府に圧力をかける。国家が動けない・動かない場面に入り込み、現場から世界を変えようとするのがNGOの役割だ。

国際法と国内法の関係

日本で締結された条約は、国内の法律よりも上位に置かれる。たとえば日本が批准した「子どもの権利条約」は国内法よりも優先される。一方で、憲法と条約のどちらが上かについては争いがある。一般的には「憲法が最上位」という立場が通説だが、ポツダム宣言やサンフランシスコ平和条約のような日本の国家の根幹を形成する条約については、「憲法よりも優越する」という見解も有力である。

この関係を身近な例で考えると、WTO(世界貿易機関)の協定に違反する国内法は改正を求められるし、国連の対北朝鮮制裁決議に従って日本が特定品目の輸出を禁止するのも、国際法が国内の経済活動に影響を与える例だ。国際法は「遠い世界のルール」ではなく、自分たちの生活の細部にも及んでいる。

この単元を通じて学んだことを踏まえると、「国際社会には世界政府がない」という事実は単なる制度上の欠陥ではなく、国家・個人・NGOが法と交渉と連帯によって秩序を作り続けるダイナミックな営みの出発点なのだと気づく。ルールのない空間でどうルールを生み出すか——それは今も答えが出続けている問いである。

では、あなた自身はどう考えるだろうか。国家が守るべき「主権」と、人々が守られるべき「人権」が衝突するとき、どちらを優先すべきなのか。